2018年4月に『生活をあきらめるな』というタイトルの個展を開催した。
展示に向け絵を描く生活の中で、食べる事が雑になり風呂に入る回数が減り、だらしなくなった。
いけないと気付かせてくれたのは町の人だった。
一人暮らしを気にかけてくれた町の人が、形が悪くて売り物にならない野菜や、多めに作ったおかずや、試作品の干物をくれたりした。
すべてが作り手の血の通った食べ物だった。
引っ越ししたばかりで物がほとんど無い部屋で、いただいた物を丁寧に食べた。
あきらめちゃいけないなとその時思った。
完璧でなくていいから、生活の中の“まぁいいや”をなくそう。
そういう意味が込められたタイトルだった。
展示が終わり数ヵ月経ち『生活をあきらめるな』という言葉は頭の片隅にあるものの、
意味は薄れてしまっていたある日、
終わった展示のDMが欲しいと言う方がいた。
このDMを見ると生活を励まされるような気がすると言ってくださった。
展示が終わった先も、その展示は生活の中に溶け込んで、ずっと続いていたのだとその言葉を聞いて
気付かされた。それは作った人間だけでなく、観に来てくれた人も同じなのかもしれない。
僕はその事に気付かずに、今まで何度も展示をしてきた。
展示の為に絵を描き、それっぽいタイトルをつけて、告知して、観に来ていただき、最終日を迎える。
僕が忘れても『坂の上から海の側』も『瞬間』も『今宵の肴』も『橙色』も、生活の中で続いていたのだ。
今までの展示に対して申し訳ない気持ちになった。
燃えるゴミの収集日の朝、収集時間に目が覚めた。前日、遅くまで飲んでいた。
ゴミの量が多かったので捨てたかったけれど、寝ていたかった
『また次の収集日に捨てればいいや』と思った。瞬間、
DMが欲しいと言ってくれた方の顔が思い浮かび、その次に“あきらめるな”という言葉が
頭の中に響いた。
僕は布団から飛び起き、ゴミを抱えて急いで家の前の収集場所へ行きゴミを捨てた。間に合った。
こんな些細な事だ。
展示は終了して、はい終わりではなくて、生活の中で続いていた。